歴史年表マップ

昭和20年代〜30年代

「とちぎのいちご」の夜明け

昭和20年代、麦類の統制廃止や大麻価格の下落などを背景に、「いちご」栽培が始まりました。
昭和30年代、収益性が高く水稲の裏作として栽培できる「いちご」は急速に広がり、昭和39年には、現在とほぼ同じ600haの栽培面積になりました。

農林統計

栃木のいちごの先駆者の一人である
仁井田一郎

昭和40年代

早出しへの挑戦

昭和40年代前半には、「株冷蔵」や「高冷地育苗」などの低温処理技術が開発されたことにより、出荷開始時期は春から2月へと早まりました。

当時の低温処理技術は、休眠打破(きゅうみんだは)が主たる目的でした。

高冷地の山上げ風景(戦場ヶ原)

昭和50年代

産地を支える無病苗増殖基地

昭和50年(1975年)、病害に汚染された苗の蔓延を防ぐため、県内10か所に「無病苗増殖基地が整備され、良質苗の一元的な安定的共有体制が確立されました。

無病苗とは、いちごを犯す病原性ウイルスに感染していない苗のことです。

年内出荷への試行

昭和50年代には、年内出荷を実現するため、現在の基礎となる育苗技術が確立されました。昭和54年、地下水を利用した省エネルギー保温技術である「ウォーターカーテン」が開発され、急速に普及しました。

昭和60年代

大いなる飛躍

昭和60年の「女峰」の登場により、クリスマス期からの出荷がついに実現しました。昭和62年(1987年)、夜冷処理の導入が始まると、出荷開始時期は11月上旬にまで早まり、いちごの収益性は飛躍的な向上を遂げました。

年内出荷領と単収の推移(系統実績)

平成元年代〜10年代

家族経営から企業的経営へ

平成8年(1996年)に登場した大粒の品種「とちおとめ」は、収穫量の向上と収穫作業の省力化に貢献しました。平成10年頃になると、大規模に「いちご」を栽培する農家が増えてきました。

総作付面積と1戸あたりの
作付面積(系統実績)

平成30年代〜

いちご王国・栃木

平成30年、50年連続日本一を契機に、1月15日を「いちご王国 ・栃木の日」として宣言。
「いちごといえば栃木県」とのイメージを広めるため、「いちご王国」プロモーションを展開。 全国に いちごの魅力を発信しています。